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「生きる」と「息をする」。

 
 ///風呂に入るために帰宅し再度病院へ向かう夕暮れ///

先日挿管した管が痰で詰まった。

完全に塞がっているわけではなく酸素は送り込まれているようだし自発呼吸もある。

ただ、痰を吸引する際に入れるシリコンチューブが途中で入らなくなる。

本日、入院後3回目の挿管(2度目の交換)になる。

今回は鼻からの挿入となったせいで口回りがすっきりした。

自分で「息してる」。大あくびもする。

同時に鼻から胃まで(?)チューブが挿入された。これは薬を流したり、場合によっては栄養を流し込む際にも使うらしい。




午後からDr.と面談し今後の治療方針について会話する。

お願いしたのは以下の内容。

気管切開はお願いする(私の希望)。
・・・痰や唾でむせて苦しがったりするリスクは避けたい。のどに管を挿入してるのは辛そうだ。

それ以外の積極的な延命措置は行わない(お袋と私の希望)
・・・例えば栄養のルート確保のための胃ろう造設はしない
・・・例えば腎不全が悪化し腎機能が低下した場合人工透析は行わない
・・・例えば急変し心停止した場合の蘇生措置は行わない

これが正解なのかどうかはよくわからない。正解があるのかどうかも分からない。

でもお袋は親父を管だらけにするのは可哀そうだと訴えてきたし、私もそう思う。

でも「活き」てはいないかもしれないが「生きてる」し「息してる」。紛れもない事実。


Drや看護師さんと会話してると涙がこみ上げてくる。

意識が戻ってくれないかという希望も捨てたわけではないが限りなく0に近いんだろう。




あとは親父本人の生命力にすべてを委ねるしかないのか・・・

それでも、83歳の誕生日は何とか迎えられそうだ。

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