ゆっくり、ゆっくり。
 ///昨日の夕暮れ///
朝食後いい天気だったので親父と日向ぼっこ。 家の中より暖かいと喜んでいる。背の低い脚立をテーブル代わりにしてコーヒーを2人ですする。 補聴器を入れているので近くに幹線道路を絶え間なく走る車やバイクの音が結構聞こえているようだ。 他愛のないことを話しながら親父が飽きるまで(体が暖まるまで)過ごす。
家の中へ戻り大リーグ中継を見てる。ヤンキースの試合だということは解ったようで「松井は出てるのか?」と聞いてくる。 「多分出てるんじゃない?見てれば出てくるよ、きっと」と返事。観客の表情などを見て「こいつは悪いやつに違いない」などと無責任な発言するので私もそれに合わせて「隣にいる奴も悪い奴だよ、きっと」とまたまた無責任な発言をして2人でニヤニヤしている。試合が面白いらしくじっくり見いっているので私は自室でグリーンチャンネルを・・・。頻繁に声掛け(トイレはいいですか?のどは乾いてませんか?)をしながらパドックで穴馬探し。
 ///今日の救いの馬券///
座っている親父にリハビリのまねごともじっくりやってみる。 足首の関節を動かしたり、さすったり「(作業療法士の人は)そんなに早くやらないぞ」と指摘される。ゆっくりと状態を見ながら時間をかけてストレッチなどをやってもらっているようだ。
昼からパリーグのCSを放送していたので見せていたら「大リーグのほうが観てて面白いな。」などと感想を言ってくる。
夕方、「サッカー見るかい?」と誘うと「今日は浦和か?見る」というのでスカパーの映る2階へ。四つん這いになって階段を上るが以前に比べればはるかにしっかり上っていく。「いっちに、いっちに」と声掛けしながら上らせる。 まぁ、試合は親父曰く「今日は大反省だな」の試合だった。 階段を降りる時も片足づつでゆっくりとではあるが降りて来れるようになった。
割としっかり、少しづつしっかり。
こうやって丸一日「見守り」と言うのは介護サービスでは提供できないことである。 ある瞬間を断片的に観察するだけではなく、連続的に観察し変化を感じ取れることが早期早期の手を打つためには必要なんだろうなと最近強く感じてしまう。
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昨日、訪問リハビリ時にケアマネの方が「手すり」の件で打ち合わせに来てくれた。 前日に私がイメージが伝わるように準備しておいたので、本人の希望+こうしたほうがもっと使いやすいということを加味して来週あたり見積もりを持ってきてくれるようだ。
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