もうあんな経験はしたくありません・・・ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長岡市幸町/千手の最大震度→震度6弱震度6弱■震度6弱■震度5強■震度5弱■震度4■震度3■震度2■震度1 2004年10月23日 17時56分・・・突然、川口町、山古志村、小千谷市、堀之内町、を中心とし我が街長岡市をも奈落の底に叩き落す地震が発生しました。 最大震度7を記録した直下型の大地震でした。その時の記録を残しておきます。 10/23 新潟県中越地震 (最大震度7 川口町) wik ・・・ということで綴り始めた新潟県中越地震の記録だったんですがほとんど日記と化しています。でも、記憶を風化させないためにも 上のグラフは2004年10月23日、17:56から24:00までの間に長岡市幸町の気象庁(JMA)が設置している震度計が感知した地震回数です。約6時間で97回の有感地震がカウントされています。2005年10月23日までの1年間で331回の揺れをJMA長岡はカウントしました。 JMAの震度発表は震度6弱でしたが独立行政法人防災科学技術研究所の長岡支所(栖吉町)の強震観測網(K-NET)では震度6強だったようです。私が本震時にいた長岡市市民体育館はJMA長岡とK-NET長岡支所の中間くらいの位置でした(揺れを多く経験するにしたがってJMA長岡=長岡市役所がある長岡市幸町付近の地盤は我が家の地盤と比べて強固であるということもよく分りました)。体育館の更衣室で着替えを済ませ、さぁ帰ろうかなという時に1発目の大きな揺れを受け、偶々シャワーを浴びて出てきたバスタオル1枚の人と2人で四つん這いになって揺れが収まるのをひたすら待った記憶は恐らく今後忘れることはないでしょう。 その晩、避難先の中学校で断片的な情報が入りだします。トンネルが崩落したらしいとか・・・いろいろと。 避難先の中学校の体育館もおさまらない余震で激しく揺れるため、多くの人が路上や駐車場、グランドに車を停め暖を取ったりラジオからの情報を得たりしていました。 この地震の厭らしさは余震の規模の大きさとおさまらない余震でした。治まったかな?と人々が思うタイミングでドンと揺れました。精神的に疲れましたね。 二つだけ不幸中の幸いだったのは、雪が積もっていないあの時季であったのと発生したのがあの時間であったことです。 もし雪が積もっている時季だったら?寝ている時間帯だったら?と思うと背筋が寒くなります。 もう2度経験したくありませんが、何らかの備えはしておかねばなりませんね。 地震の時に備えて・・・ (1)乾電池式のラジオは情報を得る上で役に立ちました。非常時は何だかんだ言ってもNHK。もしくは地元局です。 乾電池のスペアも必要ですね。そうそう、重宝するのが携帯電話に充電できる発電機能付きのラジオ。 部屋に入れなくても車中でカーナビなどのTVという手もありますが眼が疲れすぎます。 (2)車のガソリン。以前は警告灯が点灯するかしないかで給油していたのですが今は1/2位になったら給油しています。 ガソリンスタンドにもガソリンが届きません。販売制限もかかります。暖をとるにも、逃げるにもガス欠では話になりません。 (3)自分が寝てる場所に倒れてくるものはありませんか? 家族が寝てるとこに落ちてくるものはありませんか? たんすが、TVが襲ってきます・・・ (4)「揺れ」には方向があります。どっちに揺れるんだ?はケースバイケースでしょうが、我が家でぶっ倒れた家具類は 全て同方向を向いてました。建屋の構造を考えてのレイアウトはやっておいたほうがいいです。 |
|